大量生産と精密さを両立させたヘンリー・モーズリー
イギリスで発展したねじの製造技術
ねじの製造はイギリスやフランスで進められましたが、当時のねじ生産は家内工業。生産性が悪く、製造されたねじも決して高精度なものではありませんでした。
18世紀半ばになり、イギリスではワイアット兄弟がねじの大量生産に、そしてジェシー・ラムスデンがねじの精密化に成功します。
そして、この両者の功績を一本化したのが、同じくイギリス人のヘンリー・モーズリーでした。18世紀後半から19世紀にかけて活躍したモーズリーは、高精度のねじを大量に生産することに成功したのです。
旋盤の父と呼ばれたヘンリー・モーズリー
モーズリーはもともとねじを作っていたわけではなく、さまざまな工具や旋盤を開発していました。
当時の旋盤は、切削に使う刃物が固定されておらず、職人が刃物を切削箇所に当てていなければなりませんでした。そのため刃先にズレが生じ、精密な部品を製造できなかったのです。
そこでモーズリーは、旋盤に刃物を固定できる台を取り付けました。
最大の特長は、旋盤に対してこの台を平行に移動できたこと。この「スライドレスト付き旋盤」により、モーズリーは精度の高い部品を大量に生産できるようになったのです。
これにより、モーズリーは「旋盤の父」あるいは「機械加工の父」と呼ばれるようになりました。
ねじに互換性という概念をもたらしたモーズリー
モーズリーはこのスライドレスト付き旋盤を応用し、「ねじ切り旋盤」を開発しました。刃物を固定した台を一定の速さで移動させることで、円筒形の金属に一定幅のねじ山を切ることに成功したのです。
こうしてモーズリーは、精度の高いねじを大量に生産できるようになりました。
モーズリーによる高精度のねじは、ねじ業界に新しい展開をもたらします。
それが、ボルトとナットの互換性です。当時のねじは特定の一組しか組み合わせることができず、部品などを分解した際には、その組み合わせを記録しておかなければなりませんでした。
しかし、モーズリーの工場ではボルトとナットを設計通りに製造することができたため、その組み合わせを特定する必要がなかったのです。
こうしてモーズリーはねじの世界に初めて、互換性の概念を持ち込んだのです。