会社沿革
オノウエの歩み
創業者である前代表取締役・尾上優は学卒後の昭和13年、中国の天津市に渡り、中国華北綿の蒐集業に従事しました。終戦間際に現地召集を受け、山東省来陽に駐屯。現地で終戦を迎えます。
その後、昭和21年1月に家族4人を連れ、郷里の長崎へと無一物で引き揚げました。
当時の長崎は原爆で焼け野原となっていましたが、大資本による立派な造船所がいくつもありました。そのうちの一つの巨大倉庫を視察した際に、先代の目に留まったのが、ねじでした。
「資本を持たない自分でも、ねじならできる」
これが、私たちオノウエ株式会社のスタートとなりました。
会社沿革
昭和23年3月 | 個人会社尾上商店を創業 古繊維の再生加工による工業用ウエスの製造販売業を営む 創業地は長崎市元船町5丁目12番地 |
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昭和24年 | ねじの将来性に着眼し、軍の施設解体により発生する古丸鋼の再生利用として、建築用ボルト類の製造販売を兼業する |
昭和25年6月 | 株式会社尾上商店に改組し、尾上優が代表取締役に就任する |
昭和26年 | 大橋工場を開設する |
昭和32年6月 | 佐世保営業所を開設する |
昭和43年 | ねじの総合商社に脱皮すべく、ねじメーカーからの直接仕入れを開始
大量在庫による即納販売体制を完成させる |
昭和46年6月 | 大橋ウエス工場を新築する |
昭和46年7月 | 本社を長崎市五島町へ新築移転する |
昭和49年4月 | 諫早営業所を開設する |
昭和52年3月 | 大橋営業所、ねじ在庫用倉庫を新築する |
昭和54年12月 | 大橋営業所、鋼管在庫用倉庫を新築する |
昭和55年12月 | 時津営業所、時津工場を新築開設する |
昭和57年6月 | 佐世保営業所、佐世保市万津町へ移転する |
昭和60年4月 | 住友金属工業株式会社鋼管特約販売店となる |
平成3年5月 | 諫早営業所を諫早市栗面町へ新築移転する |
平成3年5月 | 尾上徹が代表取締役に就任する |
平成10年9月 | 佐世保営業所を全面改築する |
平成13年9月 | 大橋物流センターの商品ラック・貨物リフトなどの機能強化を図り、在庫を集中させる |
平成15年4月 | 初代会長・尾上優が死去する |
平成15年11月 | 尾上元船町ビルを取得する |
平成17年9月 | 時津営業所を閉鎖し、営業部門を本店営業所に移管する |
平成19年4月 | 諫早営業所の営業部門を本店営業所に移管する |
平成20年3月 | 第1回銀行保証付私募債を発行する |
平成22年10月 | オノウエねじ株式会社を設立し、遠隔地販売を拡充する |
平成30年4月 | オノウエ株式会社へ社名変更 |
平成30年8月 | 佐世保営業所を佐世保市柚木元町へ移転する |
令和5年7月 | 尾上穣が代表取締役に就任する |
ねじ販売商社のオノウエ株式会社