長崎とオノウエ。長崎でねじを売るということ
戦後復興の歩みの中で。長崎で創業したオノウエ
私たちオノウエ株式会社は昭和23年、九州の長崎にて「個人会社 オノウエ商店」として創業しました。
創業者の尾上優は昭和13年に中国の天津市に渡り、中国華北綿の蒐集業に従事。終戦後の昭和21年、郷里である長崎へと引き上げてきました。
当時の長崎は、戦後復興の真っ只中。人々は貧しかったけれど、活気に満ちた時代だったと言えるでしょう。
そんな長崎において、戦後復興を象徴する存在だったのが、港に建ち並ぶ立派な造船所でした。
中国から無一物で引き上げてきた先代の目に、大資本による巨大な倉庫群は、とても眩しく映ったことでしょう。
造船の街・長崎でねじを売るということ
そんな先代の目に留まったのが、とある巨大倉庫の隅で見つけたネジでした。
「資本を持っていなくても、ねじなら扱える」
もともと「個人会社 オノウエ商店」は、先代の中国での経験を生かし、工業用ウエスの製造販売を行っていました。
しかし、ネジの将来性に着眼した先代は、翌年、軍施設の解体で発生した古丸銅を利用して、建築用ボルトの製造販売を手掛けるようになったのです。
造船業にとって、ネジは欠かせない部品です。
小さいながらも、その重要性から「産業の塩」と呼ばれるネジ。
造船の街・長崎において、産業を支えるネジを供給する。
そのことで、オノウエは戦後復興の長崎とともに歩みを進めることとなったのです。
長崎で育ち、長崎で磨かれたオノウエ
日本経済が著しい発展を遂げた高度経済成長期、その重要な牽引役のひとつに造船業の存在がありました。
船というと、一般的には客船や、車などを運ぶ貨物船を思い浮かべる方がほとんどでしょうか。
しかし、石油や天然ガスを運ぶ船は、内部にパイプなどが張り巡らされ、船内はまるでプラントのようになっています。
いわば、船は動く大型プラント。そこで必要とされるねじ部品の種類は膨大な数にのぼります。
もちろん中には内部で製造されるものもありますが、それでも造船所が必要とするねじ部品の種類は幅広く、桁違いに多いのです。
造船の街・長崎で生まれ、長崎で育ったオノウエ。
造船業の発展とともに、私たちも一緒に成長してきた歴史がございます。
造船の街だからこそ磨かれた、深い経験と幅広い知識。それこそが、私たちの強みなのです。
長崎に限らず、熊本/佐賀/福岡/大分/鹿児島/宮崎など、九州近隣県のみなさま、ネジのことならぜひオノウエへ。