ねじの規格化に取り組んだジョセフ・ウィットウォース
旋盤の父・モーズリーに弟子入り
ねじの大量生産と高精度化を成し遂げたヘンリー・モーズリーは、ねじ切り旋盤を発明し、旋盤の父とまで呼ばれた人物。そんなモーズリーに弟子入りし、彼の工場で働いていたのが、ジョセフ・ウィットウォースです。
ウィットウォースはモーズリーの工場で技術者として働き、そこで様々な工作機械の改良に力を注ぎました。親方であるモーズリーのねじ切り旋盤にも改良を施し、ねじのさらなる大量生産を可能にしたのです。
ウィットウォースの旋盤は、完成品のクオリティが技術者の熟練度に左右されることがなく、誰もが同程度の製品を作れるようになったと言われています。
この優れた旋盤を開発したことで、ジョセフ・ウィットウォースはねじの規格化に取り組むことになります。
ねじの標準化に取り組んだウィットウォース
時はまさに、イギリス産業革命の真っ只中。鋼板を締結できるねじの需要は、飛躍的に高まっていきました。ウィットウォースの改良した旋盤は、産業革命を影で支えていたと言えるでしょう。
しかし、当時、ねじを作っていた工場では、それぞれが客の注文に合わせて、ねじ山の形状などを勝手に製造していました。生産効率が上がり、ねじを大量生産できるようになりながら、それぞれがバラバラな基準で作っていたというわけです。
そこでウィットウォースは、客から大量に寄せられる注文を吟味し、ねじの標準的な形状を割り出していきました。
そして最終的に、ねじ山の角度を55°に定めた「ウィットウォースねじ」を土木学会に提案したのです。
ねじの規格化はイギリスから始まった!
ウィットウォースねじは、1860年、イギリスのねじの規格として正式に採用されました。
イギリスから世界各国に輸出された機械に使われていたことで、ウィットウォースねじは全世界へと広がっていったのです。
後に各国で独自のねじ規格が制定されますが、ウィットウォースねじはこれらにも多大なる影響を与えます。日本のJIS規格にもウィットねじが採用されていたほど。
1968年をもってウィットねじは廃止されましたが、今でも建築や水道関係など、一部の業界では現役で使用されています。