産業革命とねじ
産業革命がもたらした金属ねじ
18世紀のイギリスで始まる産業革命は、まずはイギリスで最も盛んだった綿工業から口火を切りました。綿織物における生産機械の発明は、手工業から機械工業へ、社会に大きな変革をもたらします。
また、蒸気機関の発明により、工場には圧倒的な動力が供給され、生産力は飛躍的にアップします。
この大きなうねりの中で、製鉄技術も大幅に向上しました。また、綿工業から始まった技術革新は様々な分野での工作機械の発明へと繋がり、ここから金属ねじの生産が始まるのです。
ねじの大量生産に貢献したヘンリー・モーズリー
産業革命のもう一つの特長が、大量生産です。工作機械による機械工業が発達するに伴い、様々な製品が大量に生産されるようになりました。
そして、ねじの大量生産に貢献したのが、イギリスのヘンリー・モーズリーです。
モーズリーはねじ切り用の旋盤を開発しましたが、彼の旋盤は固定された刃物に加工材を回転させながら押し付けることで、ねじ山の切り込みを成形する仕組みになっていました。
モーズリーの旋盤はねじの大量生産を可能にするとともに、ねじにもう一つの革命を起こします。それが、ねじの互換性です。
それまでのねじは、特定の一対でしかボルトとナットを組み合わせることができませんでした。ところがモーズリーの旋盤は、ねじ山の大きさを統一することができたため、ボルトとナットに互換性を付与することができたのです。
ねじに規格を導入したジョセフ・ウィットウォース
ねじ切り旋盤の発達により、精密なねじが作れるようになると、ねじの世界に規格という新たな概念が生まれます。ボルトとナットの互換性をさらに広げて、どこの工場で生産したねじであっても、それぞれが問題なく使えるようになったのです。
このねじの標準化に取り組んだのが、ジョセフ・ウィットウォースでした。
ジョセフ・ウィットウォースは、ねじ山の角度を55°としたウィットウォースねじを提案し、それぞれの工場でバラバラに作られていたねじの標準化に取り組みました。
ここから、現在のJISやISOといった規格へと繋がっていくのです。